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今夜の番組チェック


Chabeeのひとりごと

2004.12.25.  クリスマスの出来事


Merry Christmas !
イヴの朝、洗濯をしようとしてA太郎のズボンのポケットに、「何か」が入っている封筒を見つけて、慌てて出しました。チラリと中を覗いたら、振込用紙があります。宛先は、「(財)日本ユニセフ協会」A太郎の名に住所が記入済み、金額を見て驚いてしまった私。55000円よ!お金も入っている!これは、彼の貯金箱代わりのR2D2に入っていた、今年のお年玉の残りだと予測がつきます。「はやまらないで〜!」 すでに友達と遊びに出かけてしまった彼の机の上に置いて、私も出かけてしまいました。貴方だったら、我が子を誉めて、そのまま寄付させますか?55000円も。(笑)

イヴの夜、そんな出来事もあったので、家族で話をしました。「な〜んだ」結局、A太郎曰く、ずっと前に書いたものだったこと。「金額の桁を間違えてたかも」などと、意味不明にはぐらかされてしまいましたが、どうも送金はしないようでした。親として、寄付云々についてを口出しする事は回避出来ました。ただ、お金の尊さや使い道、自分で働いて稼ぐ大切さなど、話は色々に広がりました。

今、彼は何をイライラしたり、何に傷ついたり、何を考えるているのだろう。「今の自分を変えたい」と話していたこともあったし、「ニュースを見て、色々考えちゃう」とポツリと不機嫌そうに言ったこともある。学校でもクラブでも嫌な事はなさそうだし、ボーイスカウトも楽しく参加していて、忙しい中2のA太郎。
じーみんに言わせると、魔の時代だそう。想像のつかない色んな事を考えています。親たちは何気なく通り過ぎてしまうことにも、真剣だったりするから。自分を変えたい!って思うことも大事だけれど、自分を大好きでいて欲しいな、と思いました。世界中にクリスマスプレゼントをもらえない子ども達はいっぱいいるけれど。まだ、あなたはサンタさんになれなくてもいい・・。

「サンタさんは今夜くるかしら!」と、話していた2年前とは大違い。夢も忘れてはいけないけれど、現実も、世の中も子どもには教えてあげなきゃいけない。人との関わりで多くを学んで欲しい。クリスマスには、A太郎中心で色々なことを家族で2晩、話をしました。それでもA太郎は、「まだ、お父さんやお母さんに話していないことだって、あるんだ!」と、べそをかいたのです。子どもは「誰からも愛されていたい」(愛情を持って接して欲しい)って、いつも心の中で思っている・・と感じた、2004年の我が家のクリスマスでした。


"Chip&Dale's Tree House"

 
クリスマスには、DLRで去年のアフタークリスマスに買った、C&Dのツリーハウスを飾りました。


2004.12.24. DISNEYなお家にて

 

今年も、お友達からの可愛らしいクリスマスディスプレイのポストカードが、パークから届きました。「是非、いらしてください」と嬉しいお誘いを受けたのに、一度はお断りした私。心残りでしたが、イヴに舞浜へ出かけ、TDLではお友達親子さんと、クリスマスパレードをほんわかと見る事が出来ました。

日が暮れて、イルミネーションが美しく輝く頃に、お宅へお邪魔いたしました。お友達は、今夜のクリスマスパーティーの為に、ターキーを焼くための仕込みを完了したところ。今年は、ナイトメアのジャックも加わり、バージョンアップの、ディズニーな別宅の玄関が、素晴らしいクリスマスのディスプレイで迎えてくれました。ツリーの下にはギフトBOXが並び、テーブルの上のガラスには、ご主人製作の“ディズニーリゾート&キャラクターの素晴らしく見事なエッジング”が施されていました。お写真では、判りにくいのですが、クリスマスツリーのブルーの灯りで照らされた部分に、一部写っています。ベランダのイルミネーションや、お部屋のホリディ期間だけののクリスマスディスプレイ。


 

彼女お手製の、抹茶のババロアと、クリスマスのお気に入りのカップ&ソーサーでコーヒーをご馳走になりました。自分ではレーズン入りなので買えなかった、シェフミッキーのミッキーのパン。お耳の部分を戴きましたが、こちらも美味しかったです。

コレクションの数々も拝見。今年のお嬢様からのプレゼントで、“レノックス”の七人の小人シリーズのトレジャーBOXが揃ったそうです。スノーホワイトはお考え中だとか。一度に揃えてしまうことが出来ても、ひとつづつ、というのが彼女らしいところです。可愛らしくて、とっても素敵でした。




彼女は、私のことを「女らしい」と言って下さるのですが、それはとんでもない誤解でした。私の方こそ、彼女から、素敵さを頂戴しながら、見習わせていただいています。どんなに丁寧な言葉を使っても、何をしても、その人らしさは作るものではなく、真似するものでもなく、自然ににじみ出るものですね。
クリスマスイヴのこの日に。私はそんな素敵な方たちと、パークで、そしてお宅で。楽しいひとときを、ご一緒させて戴きました。それは、まるで何よりもに優る美容液みたいに、がさつな私を潤してくれる、素敵なクリスマスプレゼントだった気がしています。


2004.12.7. 大学付属病院

お天気も体調も良かったので、自転車で病院へ。近道を見つけながらの探検です。予約時間に出かけても、1時間待ちでした。自転車こいで来たので、身体がポカポカで、うとうとしていたら、あっという間に名前を呼ばれました。

直ぐ後ろの親子連れのお子さんの声で、ふと目を覚ます。「お母さん、病院来てから3時間半!ディズニーランドだって、こんなには待たないよね。」振り向いて、「そうそう」と、思わず言いたかったです。
一ヶ月ぶりの診察ですが、先生との診察時間は数分。PCの画面とカルテでデータ確認なさる先生と、診察が終了するまでに、クイズに参加しているかのごとく。頭を回転させながら、ポンポンと、聞かれたことに答え、聞きたいことを尋ね、次の診察予約の決定に、即座に予定と予測を入れてお願いし、無事終了。

HBG値がせめて「9」まで回復が優先、ピロリ菌の除菌のお薬での治療は、その後に相談とのこと。ヨーグルトも意識的に食べるようになったけれど、それはピロリ菌の増殖を抑えるだけだそうです。過去の手術の件では、シビアな会話もしました。

そして、迎えた診察最後が予想外!むくみの心配で、「ちょっと足見せて。」ひぇ〜!そう来るとは思わなかったのだ。ソックスを足がむくむといけないと思って、かなり年季が入った(つまり足首がヨレヨレの)ラインストーン付きのチャコールグレイの(可愛いけれど、元は黒だった)折り返しソックスを履いて来ちゃったのでした。(言い訳1)しかも、ボトムをめくった足首は、朝風呂入ってクリームもつけずに出かけたので、カサカサ。「足元にヒーター置いているんです」(言い訳2)最後の問題で、しどろもどろになりながら、先生の顔をまともに見れず、お礼を申して診察室を出ました。足のお手入れもしなくては・・。

・・という訳で。その後、血液検査をして、お薬の処方箋戴いて終了。結果は、来年までお預けです。年末の大学病院の初診待ちは、ディズニーランド並みなのですね。予約は、ファストパスみたいなのだ。

2004.11.28. 海外からのお便り HAWAII

【BREE】
11月の中旬。親友の従兄弟でもある知人が、ハワイのシェラトン・モアナサーフライダーにグアムのプラザ店に続いて、“BREE”ハワイ店をめでたくOPENしたお知らせを受けました。“BREE”はヌメ皮のバックのショップで、舞浜のイクスピアリには銀座店に続き、SHOPがOPENしています。(経営は別です)使うほどにシャンペンカラーのあめ色にと、色合いと風格を増していく革製品。比較的お手頃な価格のドイツの革製品のブランドです。

グアム在住で国際結婚なさった、ミセスTさんとは、私とじーみんと友人カップルとで初めて訪れたグアムで、友人の従兄弟として紹介されたのが初対面。それから、グアムでは度々お世話になりました。ちゃーびーのグアム旅行記でも、 ちょこっと触れていましたが、グアムのPLAZA店に続いてのハワイ店のOPEN。NYC9.11の事件の為に、OPENが伸びておりましたので嬉しいお知らせです。彼女(私達よりずっと先輩ですが)と会いに、友人たちとハワイへ行きたいわね、、と話していました。ショップには、彼女が立つこともありますが、グアムとハワイと日本(彼女は宝塚ファン)を行ったり来たりの忙しい彼女なので、わかりません。でも是非!ハワイへお出かけの際は、立ち寄ってみてくださいね。・・とチョッピリCMなど。ご紹介がちゃーびーでは、通じないし、私の旧姓でないと判らないと思うのですが・・。(ごめんなさい)お店では、どなたでも、きっときっと親切にしていただけると思います。
■BREEグアムPLAZA店■

【インターン・シップ】
彼女のお嬢さんたちは、ハワイとサンフランシスコの大学に留学。次女ちゃんからは、アメリカ生まれなので英語と日本語はOK。その2番目のお嬢さんが、年の離れた長女さんに続いてハワイ大学で学び、この度インターン・シップでオーランドのWDWにて5ヶ月間お仕事をすることに決定したのでした。
彼女は、NHK連続テレビ小説「さくら」の主人公さくらと同じに、外国籍で、ハワイ大学でたしか同じ学部を専攻。ヒロインは日本語学科で日本文化を研究していたそうですね。(私は、ドラマを見ていないのでわかりません。)ドラマでは、モアナ・サーフライダーホテルも登場したとか。

WDWでのお仕事の第一希望が、プリンセスだったそう。海外でのプリンセスになるためのオーディションは、大変だそうです。彼女の場合は、英語はもちろん、日本語が堪能だったのが有利だったとか。ディズニーパークで、大学生達がインターン・シップでのお仕事をしていることにもびっくりでした。来年からスタートのお仕事、楽しく頑張って欲しいです。私がお嬢さんとお会いしたのは、実弟と出かけたグアム。まだ幼い彼女の、お家のチャイルドチェアーに座って、ピザのお肉をつまんで戴いている姿が心に残っています。もう、大学院生なのですね。彼女のグリーティングに出かけてみたいな。ハワイ、WDWと次々に行きたいところが出来てしまう、この頃です。

2004.11.20. 結婚記念日

  

今日は、私とじーみんの22回目の結婚記念日でした。A太郎は、米軍基地にて開催ボーイスカウトの「日米フレンドシップ・パトローリー」のキャンプへ本日出発。アンバサダーホテルのエンパイアグリルのクリスマスランチをじーみんと2人で戴いて来ました。予約の時に、迷ったけれど記念日のことをお伝えしておきました。

じーみんはサーロインステーキ、ハニー豆板醤ソース、ミックスビーンピラフ添えに。私はもうすぐサンクスギビングなので、ターキーのピカタ風をメインに。ソースがコーントルティーヤピュレというのですが、「タコスの皮の味〜。ドンタコスだ!」と頭の中に浮かんで、ふっふっと消しました。じーみんお気に入りの。焼きたてポンテケージョの、チーズのころころパンも美味しくいただきました。
甘海老と小柱とアボカドのサラダ の前菜もさっぱり美味しかったけれど、お料理では、スズキの皮までカリカリにソテーのスープ仕立てが気に入りました。お皿に添えられた、セミドライトマトとブラックオリーヴを後から混ぜるとイタリアンなお味に変身します。とても美味しかったです。デザートバッフェは、クリスマスの雰囲気いっぱい、ブッシュド・ノエルもありました。お好みは、マロンのモンブラン、生クリームとマロングラッセ添え。
  

最後に、記念日のお祝いのお写真を撮っていただきました。アンバサダーホテルのケースが新しくなって、可愛かったです。中のお写真には、そのまんまの今の私達がいました。プレゼントのピンバッチもとても可愛くて良い記念です。初めての出会いからは、お互いが結婚するまで家族で過ごした年月よりも、長く一緒にいる私達。23回目も、24回目の記念日も。ずっと、二人そろって元気に迎えられますように。

2004.11.18. ミッキーのお誕生日にディズニーランド



今日は、ピグレットそっくりの姪っ子を連れてのTDLでした。「TDLへ行けるだけで嬉しい!」って言ってくれたので、昼から雨予報でもGO!ゆっくり出発で、パーク到着は10時。ゲート前は空いていました。曇り空。本当のお誕生日は21日。ミッキー&ミニーのお誕生日に、お誕生日シールを戴くのはとっても気がひけたのですが、パパ&ママはお仕事で忙しく、実家の父の事もあります。「ごめんなさい事情」でチケットブースにて1DAYチケット購入の際、お誕生日シールにお名前を書いていただき、ミニーちゃんのシールも戴けました。コートの左胸にペタンと貼りました。良かったね♪

午後から、雨予報どおりでしたが、アトラクションをいっぱい楽しめて、クリスマスパレードでもダンス参加、ポップコーンもいっぱい食べれて、お土産も買えて、大満足のピグレットちゃんなのでした。私は、足が疲れましたが、彼女は元気で興奮さめやらずらしい。^^;どうして、我が子じゃないと、こんなにも怒らないで済むのでしょう。。キャストさんから、いっぱい「おめでとう」をいただけました。お写真もいっぱい撮ってあげられたし。6歳の嬉しい記念日を、ちゃーびーおばちゃまも一緒になって、HAPPYに過ごす事が出来ました。

2004.11.13. 幸せの赤いパンツ

 

昔から赤は縁起のいい色と言われています。世界各地で赤い下着にまつわる様々な言い伝えがあります。イタリアでは、"赤い下着"をはいて年を越すと幸せになれる。とか、中国では、年男・年女が魔よけのために赤い下着を身につける。など。日本では、今年の干支である申は、申(さる)→猿(さる)→去る(さる)をも意味すると言われ、「悪いことが去る」などの縁起のよい言い伝えが残っています。そして、お尻が赤い猿、申年に赤いパンツを贈ると、一生下のお世話にならないといいます。
2004年の申年も、あと少しで終わりです。実母とのバス旅行中に、「赤いパンツをプレゼントしてくれる?」とお願いされていた私は、巣鴨へ赤いパンツを求めて、出かけて来ました。

巣鴨といえば、とげぬき地蔵。私が生まれ育った実家からも近く、馴染み深い街。小さい頃、このお地蔵様の小さな紙のお札を、何度か飲まされた記憶があります。今は、「おばあちゃんの原宿」と言われていますね。私にとっては、自転車でも行けちゃう、A太郎のサッカースクールもあり、送り迎えで、何度も出かけた、懐かしい街です。お参りをして、観音様のお体を洗って差し上げてきました。

目指すは、いつも安売り衣料品がいっぱいの、マルジ。とにかく、何でも安いのです。http://www.sugamo-maruji.jp/red/index.htm 
店頭には、赤い下着が溢れていました。有名メーカーのショーツから、おサルさんの刺繍入り。アンダーシャツにソックス、タオル、紳士用まで。福袋もありました。実母には福袋(ショーツ、アンダーシャツ、ソックス、五分丈などのあったかアンダーショーツ、タオル、その他、5000円相当の商品が入っています。)と刺繍入りを。義母、お手伝いさんの分も買いました。申の日に届けられて、喜んでもらえました。妹達や自分の分のショーツまで、つい買ってしまいました。

11月の申の日は、1日、13日、25日です。申の日にプレゼントするのが良いそうです。

■地方による言い伝え
【北海道地方】 申年に肌着を贈る、または申の日に「申」と書かれた新しい肌着を身に着けると病が治るといわれています。色は赤色で、年下の女性から贈られるのがよいとされています。
【東北地方】 申年申の日に身内の女性から贈られた「申」と書かれた肌着を身に着けるけると下の世話にならないといわれています。
【上信越地方】 申年に赤い肌着を贈る、または贈られた肌着を身に着けると、病が去るといわれています。
【関東地方】 申年に子供から贈られた「申」と書かれたパンツを身に着けると病が去るといわれています。
【中部地方】 申年に肌着を贈る、または贈られた肌着を身に着けると、病が去り、長患いしない、下の世話にならないといわれています。
【近畿地方】 申年申の日に子供から贈られた肌着を身に着けると寝たきりにならない、下の世話にならないといわれています。
【中国地方】 申年申の日にパンツを4枚贈ると死が去る(サル)、また肌着を贈ると病が去るといわれています。
【四国地方】 申年申の日に贈られたパンツを身に着けると病を遠ざける、またこっそりしまっておくと幸福が訪れるといわれています。
【九州地方】 申年申の日に贈られた肌着を身に着けると病が去るといわれています。とくに申又がよいとされています。

2004.11.9. 検査結果

胃カメラ、婦人科などの検査から、貧血と胃のお薬を服用し、今日は検査結果の診断の日。前日は、レバニラ炒め、ひじき、ほうれんそうのゴマあえを夕食に加えました。
婦人科では、子宮がん検診の結果は問題なし。ホッとする。内診での超音波診断でも、子宮の大きさも通常で、子宮筋腫の疑いも、やや大きいと言われた左の卵巣も「異常なし」とのこと。「今後は、定期的な検診を必ず受けていきましょう」のご注意で終了。

消化器内科へ行き、外来の診断前の血液検査へ。その後、予約時間まで本日の血液検査の結果待ち。看護婦さんから「検査結果が出るまでと、○○先生の外来は、予約時間よりも遅くなる可能性が高いので、予約時間ちょっとすぎに戻っていらっしゃれば間に合いますから。」と教えていただく。それで、約1時間弱の待ち時間に、先日友人に教えてもらって、一緒にランチをしたサンドウィッチセットが美味しい喫茶店へ。今回は、コンビーフのトーストサンドにしました。ヨーグルトも美味しかったです。友人と携帯で連絡を取り合い、今日も病院帰りに、フィットネス帰りの友と待ち合わせをしてしまいました。

消化器内科の外来へ戻って、お腹もいっぱいなのでウトウトしてしまう。午前中の外来が、診察の終わりに近づいて行く時間です。ふと、女性の声で目が覚めました。かなり待たされてイライラしている。診察を受けられても、検査までの時間がもうない・・とか。順番が違うとか、柔らかい口調だけど文句。それで順番が早くなるわけじゃない。看護婦さんが、丁寧に説明してあげていた。今はコンピューターでの受け付け時間も記載されていて、順番は守られているし、私みたいに検査に出かけて戻ってくる患者さんもいる。自分が早めに来ればいいだけじゃないのかな?と思いながら、「ああ、この人は病院へきて、ストレスをまた受けちゃうのだわ」と、心の中で思ったのでした。

間もなく私の名前が呼ばれて、診察室へ。前回と今回の検査結果と診断のお話。HGB値が5.5から7.0に向上していました!鉄欠乏症貧血のお薬の効果が出て、改善傾向が見られるのでお薬の服用を続けることに。肝臓には、小さな脂肪肝が見られ、脾臓には小さな水の袋もあったけれど、こちらは今は経過を見る。この結果は、超音波の検査の時に検査技師さんからお聞きしていたので、そう驚きはしなかった。それよりも、胃カメラの検査時での細胞採取にて、ピロリ菌が発見されたと聞き「なに〜それ?!」と心臓がピクリとしてしまった。担当医師から「この菌に関しては、保険の適用も可能になったので、一ヶ月後に貧血の状態とも合わせて、治療(お薬の服用)に関しては考えましょう。」「新聞紙上でも話題になったりすることもあるので、気がついたら読んでおくのもいいし。心配は無用。」との説明で、なんとなくホッとしました。でも、気になって自分で調べたりしました。やっぱり、少し怖いです。もう、胃潰瘍にはなりたくない。


【ピロリ菌】
1982年に発見された胃の中に生息している菌。胃酸のように強力な酸のなかで生きていくために胃の中にある尿素からアンモニアをつくり酸を中和。感染経路は経口感染(食べ物や水)と考えられており日本人では40歳以上の70〜80%が感染しているといわれているそう。菌がいることで 胃の壁を傷つけ、胃を守っている粘液が減るので胃炎や潰瘍の原因となる。ただし感染して潰瘍になる人は一部で多くのひとは無症状で経過。

これで、心配だった今回の診察も終了。今日は、自宅近くではなく、病院の目の前の、調剤薬局でお薬を受けとりに寄りました。どうしてかというと、朝、タクシーに乗った時。私がいけないのだけれどお財布に万札しかなかったのです。幹線道路がラッシュの時間で、1分でも早く到着したかったので、道順で私がちょこっと指示したのが運転手さんにとって、気に食わなかったのかしら?「ごめんなさいね。。」と到着前に、万札のことを申し訳なさそうに伝えたら、「つり銭なんてないから」と、そっけなく返って来た。(そんな訳ないじゃな〜い?)と思ったけれど。タクシー止めて、この調剤薬局まで走って、両替をお願いしたのでした。タクシーに戻り「お釣りは、いりませんから!」と言ってあげたかったけれど、ちゃんとつり銭手に用意していました。運転手さんにも良心の呵責があったのでしょうね。病院へ入りながら、私はふと、思ったの。今の私は、検査結果で通院で、これしきりの事では、身体にも、心にも。頭にも来ないけれど。具合の悪い時だったら、、結構ショックだっただろうな〜と。
お話がそれてしまいましたが、朝のお礼を伝えたくて、この調剤薬局へ来ました。嫌な顔ひとつしないで、両替して下さった薬局だったから、美味しい冷茶のサービスとミニタオルまで戴いてしまい、やっぱりここでお薬いただけて嬉しかった。

心も軽やかに、友人との待ち合わせに出かけ、いっぱいおしゃべりして来ました。私の「ストレスを貯めない」病院通いの日。病気の原因を調べると、心身のバランスが崩れる・ストレスが原因、の場合が多いです。病院嫌い、検診嫌いの私が、明るい通院生活を学べたのも、今回の病気のおかげかもしれません。

実母には一言、「良かったわね」ではなく「やっと、自分で気がついたのね。」と言われました。

2004.10.28. 私のからだ

10月の連休に起きた体の変調。連休明けに、検診をサボり続けていた私が、とうとう大学付属病院へ出かけました。そして、私の検査が始まりました。

12日の血液検査、レントゲン、尿検査に続いて、27日に超音波、胃カメラの内視鏡検査は担当医がして下さり、足のむくみも相談、先日の血液検査の結果を聞けました。先生が外来に出ていらっしゃらなかった日でがっかりしていただけに、感謝しました。HBG数値が異常に低い5.5であった事。以前の手術には必ずついて来るおまけで、どうしても貧血とは付き合って行かなければいけない私なのだ。それにしても、今回の数値は、非常に良くない。再度、血液検査となり、検便提出、尿検査もし、当日中に検査結果を教えて下さり、貧血の点滴を受け、貧血のお薬も出していただけました。脾臓、肝臓の超音波の所見も出て、大腸検査は後日ということに。とりあえずは、消化器からの出血はない模様。すぐに、婦人科への紹介状を先生が書いて下さいました。段取りが上手いと患者の私にもわかるような先生で、カルテの移動にも足早に先生自身で動いてくださったのです。直感的に、最初に診断を受けた時から、信頼出来る感じがした医師との出会い。私には、1番の幸運でした。

ですから、病院嫌いの私が、素直に今日、婦人科を受診したのです。胃カメラに続いて、心が大変苦痛の内診。でも、我慢我慢。筋腫の疑いは、その場で晴れました。「良かった!」今は内診で超音波を使い、筋腫の診断も可能になったのかと、即座の結果に感心。子宮ガン検診も受けました。

婦人科の担当医はからっとした、明るい感じの先生でこれまた救われました。「貧血って顔しているね」(どんな顔?)「めまいや立ちくらみはないの?」と驚かれた。そして「平気なようでも、人の三分の一しかない数値の貧血状態。過激な運動は禁止。階段よりもエレベーターを使いなさい。転んで頭を打ったりしたら大変だよ。走って息切れすると、心臓発作も有り得るのだから。」と言われて、今度は私が驚いた。「これって、病気の二次災害なのだ、、」と心の中にしっかりと刻みました。自転車で来院した自分を反省しながら、先生とは、お腹にお肉がついたことで、「筋腫のせい?」って頭をかすめたことも、「筋腫ではなくて、単なる脂肪だったのですね。」と最後にはチョッピリ笑えることが出来ました。でも、内診のあとは、恥かしくて先生の目を見れなかったし。子宮ガン検診の結果も気になるけれど。何もありませんように。

元気!元気!って思いすぎてもいけない。「ちゃんと病院へ行きなさい。ちょっと、お休みしなさい。」そう、導かれたみたい。私にとって、「病気に対する目」が覚めた、今日この頃です。カラ元気じゃなくて、本当の健康体に戻らなくっちゃ。自分のためにも、家族のためにも。

2004.10.26. 信州日帰りバス旅行

  

ドラッグストアの日帰りバス旅行の旅に当選。バスツアー会社の戦略で、「お決まりの招待旅行」だと知りつつ、行き先が、信州と知り実母を誘って出かけました。あいにくの雨模様。でも母がとても喜んでくれたので、思い出のバス旅行となりました。ゆったり座席のバスに乗ってしまえば、目的地ごとで色々観光が出来てしまうので、楽です。

■わさび漬けセンター■韓国ツアーでいえば、キムチ直売センターに寄るのと同じような感じです。試食が多いから、つい買ってしまうのです。「ひじきのわさび漬け」にリスのモチーフの絵柄のパッケージが可愛い、「勝ち栗まんじゅう」ベビーカステラみたいでレンジで温めると美味しかったです。干しぶどうのプレゼントがありました。

■白金工房■http://www.art-jewelry-museum.com/
山梨方面へのバスツアーには、わさび漬けセンターと共に、ここへ寄り道するのでしょう。社長さんが有名な彫金師で作品も素晴らしく、皇太子と雅子様も訪れたという、宝石工房。バスの中でクイズ3問に答えて(結構むずかしいのです。18KのKはカラットと言うそうです。ダイヤモンドのキャラットはスペルがCなのだそう。)見事正解者にはトルコ石のキーチェーン、参加賞はピンクのトルマリンの原石のプレゼントでした。イタリア職人さんや工房の方達が、歯科医が使用しているような器具での、細密なお仕事も拝見。そして、アートジュエリー美術館の見学です。作品と工場直売の宝石類を母と見て廻りました。

私の予感的中。母がトルマリンの結構なお値段のネックレスを、店員さんにつけてもらっている。「何もここで買わなくてもいいと思う」と、やめさせようと思ったのだけど、母は本当に買いたそうにしているので、長女特有のおせっかいで値引き交渉に。3万円も値引きしてくれて、身体に良いと評判の?トルマリンのお風呂に入れるセット(3500円もする!)を母と私にまでプレゼント。糸交換も永久的に無料でして下さるし、鑑定書もあるし、まいっか。母には、思い出のネックレスになることでしょう。温かい応対をして下さった店員さんに見送られて、最後にバスへ慌てて乗り込んだ、迷惑な母子なのでした。

■おぎのや■釜めしやお蕎麦もお味噌汁も、雰囲気で(笑)美味しかったです。母は釜めしをお持ち帰りしたほど。私は、翌日、胃カメラの検査で夜遅くに食事が出来ないので、その場でお腹がはちきれれんばかりに戴きました。売店では、信州限定ものが多くて。KITTYちゃんのタオルなんて、おぎのやバージョンまでありました。信州バージョンは姪っ子へのお土産に。ミッキーの信州限定パックンチョやあんずのハイチユーなども買いました。しっかり観光客してまいりました。。

■諏訪湖■紅葉も始まり、雨だったのが残念。足湯は、諏訪湖を眺めながら無料です。お湯の流れ出る最初の位置が、温度が高いのですが、私はその端に。44度くらいのお湯でした。熱くて気持ちが良い!でも、足がとってもむくんでしまっていて、心配になりました。私の身体のどこが悪いのでしょう。

 

■諏訪大社■
そして、1番の目的だった諏訪大社へ到着したのでした。御柱を拝み、母と写真を撮っていただいたり、参拝をして心が休まりました。ここでは、A太郎とじーみんにお守りを。勝守や学業成就の登龍のお守りです。

 

■みそ工場見学■丸井伊藤商店のみそ工場には、おかめのほっぺをなでるとご利益ありの「福の神様おかめ」と、昔大富豪が毎日焼き味噌で貧乏神を追い出したとかで、弱い心を叩いて、豆を投げつけて貧乏神を追い払う「貧乏の神様」があって笑ってしまったのでした。お味噌汁を試飲して、お土産のお味噌の小袋を戴きました。

 

この工場のある信州「茅野」こそが、母の思い出深い土地なのでした。

10月23日は、「祖父」つまり実母の父の命日でした。母の父(祖父)の悲しいお知らせは、終戦2ヵ月後の秋。母が12歳の時だったそう。訃報を受けた、疎開先の信州茅野。学校から茅野駅まで急ぎ、親戚に学校の荷物を預け、母子で、姉や兄が待つ東京方面へ向かったそう。「お母さん(祖母)が汽車の中で、ずっと黙り込んでいたことを、今でも鮮明に思い出すの」と、母の思い出話に耳を傾けました。母とひとつの傘に入り、手を繋ぎ、まわった観光地。私はこの、日帰りバス旅行に母と出かけて本当に良かった、、と心から思えました。

2004.10.11. そして・・わかったこと

昨夜は、結局雨が降り続いていました。久し振りに、朝遅くまでゆっくり眠れました。
でも、じーみんは又キャンプサイトへ出かけなくてはなりません。ボーイ隊の副長がやはり木曜日から風邪の発熱で寝込んでいたからです。出発ぎりぎりまで、A太郎が乗って帰る為の自転車を車に積み込むのに苦労していました。私が元気だったら、じーみんが自転車に乗り、私が車を運転して行く予定でした。今日のキャンプのランチは牛乳パックを利用してのホットドック。行きたかったな。

じーみんを見送って、洗濯機を廻して、溜まった家事をのんびりこなし、頭痛がまだ残る昼前、電話が鳴りました。実弟からです。今朝、伯母さまが入院先の病院で亡くなった知らせでした。もちろん、実父には知らせてはいないらしい。そしてその実父も、救急車で運ばれ、今日から再入院したとのことでした。初めて、数日前からの、実父の容態を聞いて、私は更にびっくりしてしまいました。実妹に連絡すると、私が心の中で感じていたように言いました。「パパ、何か○○ちゃん(私)に伝えたかったのではないかな?」同じ頃、3人が偶然にも苦しんでいたのでした。

A太郎たちスカウトは、自転車でキャンプサイトを出発しました。
岩淵水門がある土手は、ドラマ「僕と彼女と彼女の生きる道」の最終回の放映のロケ地でもありました。そして、霊だけではなく、「仮面ライダーアギト」「百獣戦隊ガオレンジャー」「仮面ライダーファイズ」も出現していたらしいです。A太郎は、荷台のゴムベルトが後輪に絡まって切れてしまい、遅れた以外は、無事ボーイ隊上進者歓迎キャンプを終了して、帰宅しました。我が家の、こんな週末が終わり。家族皆、倒れこむようにしてベットに入りました。

その夜、私はもう座薬を使わなくて済んだけれど。戴いた飲み薬は一向に利かないし。(薬の詳細は、もちろん解っているので)「あの、病院は本当に外科以外ではかからない方がいい・・」と、つくづく思いました。そして、「明日は大学病院へ、検査に必ず出かけよう」と決心したのでした。自分の身体は、自分でしか守れない。

2004.10.10. A太郎の大会参加と旧岩淵水門(赤水門)キャンプ



台風が本州の南岸を北北東に進んで行った朝。台風一過と言われていたのに、お天気はあまり回復もせず。それでもA太郎はクラブの大会へ朝早く出かけて行きました。「頑張ってね」と彼と自分にベットの中でつぶやきました。じーみんは、キャンプの手伝いに9時集合で車で出かけてしまいました。昨夜は、座薬のおかげで、幾分寝れたので起きれそうです。夕方までに、キャンプの食材を私が調達しなければいけません。でも、車もない。自転車で、スーパー2軒をまわって買い物を済ませました。なんだか、身体がふらふらします。A太郎は、試合に負けたらすぐに早退して帰ってくる予定でしたが、まだ連絡はありません。じーみんが、車で一度キャンプサイトから戻って来ました。設営が完了したとのこと。すぐに食材を運ばなければいけません。その時、5時。A太郎から携帯メールが入りました。「今から大会会場を出て戻ります。」試合はどうだったのだろう?三鷹の試合会場からは、1時間以上はたっぷりかかるので、じーみんと岩淵水門へ急いで向かいました。空は、どんよりと暗かったです。
  

食材を運び、私達は帰宅しました。やがてA太郎が戻り、急いでじーみんとA太郎はキャンプ参加の為に現地へ向かいました。2人が出発した後、A太郎のスポーツバックをユニフォームのTシャツを洗濯しようと開けたら、賞状と記念品の扇子を見つけました。A太郎は、所属級の4位に入賞していました。「彼なりに、頑張ったのだわ、、」とその体力に感心した母なのでした。

旧岩淵水門は、埼玉県との境の荒川に大正13年に建設されました。この水門は、昭和57年に新水門が完成するまでの間、東京の下町を洪水から守ってきました。建設から約80年が経ち、今では風格さえ漂わせます。
荒川上流から遺体が流れ付く最終地として有名でもあり、そのせいか霊目撃が多発している所なのです。怖いくせに、この手のものが好きなA太郎。友達スカウトと、夜の探検を物凄く楽しみにしていたのでした。他の団では、キャンプ中に何かを見てしまったと、「二度とあそこでキャンプはしたくない」と話している団のスカウトもいるそうです。「キャンプには、ロザリオを持っていく!」と言っていた息子はしっかり、それを忘れて行きました。
母は、夜遅く帰宅したじーみんから、「あの赤水門の先の島まで歩いて行ったぞ」「柵がないから、足を滑らせたら河に落ちてしまう」などと報告を受けたので、またもや夜に襲ってきた身体の痛みと、心配で夜中まで眠れませんでした。隊長から、起きているなら行って来い!と言われて、夜遅く自転車でスカウトと2人だけで下流の青水門まで探検してきたそうです。

この日も、私は座薬のお世話になったのです。実父は、この日、やはり嘔吐して、冷汗をかき変調をきたし、その他の症状で担当医の往診と治療を受けていたのでした。伯母は危篤状態でおりました。(後日談)

2004.10.9. 台風22号関東地方上陸

一晩身体の痛みや、吐き気や、お腹も痛くて、冷や汗に悪寒。熱は出ないのにうなされていました。朝、A太郎が学校へ出かけるのも見送れず、寝ていました。すると、AM8:30学校からの電話連絡網。台風の為、HR終了後下校との事。声だけは、シャキッとさせて電話連絡と確認電話を受けました。これも結構辛いのです。今日は、ホテルでA太郎のクラブの全国大会優勝の祝賀会で、顧問の先生へ夫婦で出席と伝えてあったのに、こんな状態では絶対無理、しかも外は雨台風。帰宅したA太郎は、祝賀会へ制服で出かけて行きました。夕方、東日本に上陸した場合、過去10年間で最大の台風だという。それも心配。でも、私の身体も心配。何にも食べられなくて、かかりつけの個人病院へは午前で終了でとうとう行けなかった。そして、夕方。ぎりぎりで、風も出てきた雨の中、1番近い救急指定の(でも、あまり評判良くない)病院へ出かけました。夜中が怖かったのです。腹部レントゲンを撮影。お薬を戴く。熱は無いけれど、身体の痛みが我慢できないので座薬を出していただきました。

A太郎が、「駅前の水が凄かった〜」と台風の中、制服も革靴も、定期入れまでびしょ濡れになって、嬉しそうに帰って来ました。そうそう、台風って子供の頃、(大きな声では言えないけれど)なんとなく楽しかったっけ。

そして、夜。24時間ぶりにおかゆを薬を飲む為に、食べました。でも、全然利かない。そして、とうとう座薬の
お世話になりました。そして、ベットの中でいろんなことを考えていました。
明日、A太郎たちがキャンプで出かける、岩淵水門。心霊スポットとして有名で、じーみんとA太郎が私のPC
でその画像などを見ていたのを思い出す。思わずPCの画面なんて見てしまったし。この、肩にくる何かが獲りつかれたような痛み。「やだ〜、まさかね、、」なんて。私は霊感は強くないから、と言い聞かせる。頭がもうろうとしていたのかも。

でも、実はこの日の夜。私は知らなかったけれど。実父も具合が悪くなりはじめ、その父の長姉も入院中の病
院で、容態が悪化していたのでした。私は、このことを11日の朝まで全く知らないで過ごしておりました。

2004.10.8. お食事会

  

ボーイスカウトのママ達が集う、お食事会のディナーのお約束がありました。住宅街の一軒家。その前を通ると、美味しそうなソースの香りが漂うレストランです。我が家からも、自転車ですぐ!の場所にある“ブラッセリー・ダジュール大塚”お店を開いていらっしゃるのは大塚さんご兄弟、お兄さまがシェフ、弟さまはお茶の師範でいらっしゃいます。お洒落なカウンターのコーナー、テーブル席、掘りごたつ席の和室など、一軒屋ならではのこじんまりとした。気取らない落ち着くレストランでした。今回は、参加者12名で和室のお席です。今の季節はOPEN1周年の感謝フェアー中で、筑波山麓の紫峰牛の石焼ステーキの7800円のコースが4800円でいただけます。今回は「お任せコース」でお酒込みで5000円というお得なコースを、オーナーとお知り合いのママが予約してくださいました。いつもボーイスカウトのボランティアのエプロン姿や、会議で、まだまだ小さなお子様がいるご家庭が多いので、サッと解散してしまう母たちなのですが。我が団は、たまにこんな「母の会」と「おやじの会」がひそかに開催されているのでした。

  

乾杯!で冷え冷えの美味しいビールを戴き、前菜のサーモン、次は赤ワインで秋野菜がどっさりのお肉入りグラタン、ローストビーフのサラダ、鮪の焼きカルパッチョとお食事もおしゃべりも、宴たけなわ〜となったころ。私の身体が変?になってきてしまったのでした。「なんだかおかしい」「気持ち悪い・・・」体調が悪い時飲んでしまって起こる関節の痛み。。トイレに何度も立って、とうとう我慢できず、じーみんにSOS!を発信しました。でも、悲しい事に「帰宅はまだまだ遅い」との冷たいお返事が。(泣)その後、取り分けられたお皿のお料理も、気持ちが悪くて戴けず。撮影なんてする気力もなし。外は、雨。歩いて帰れそうもありません。結局タイミングを見計らって、お友達ママに助けられ、タクシーでお先に失礼するはめになってしまったのでした。どうしてこんな風になってしまったの〜と、ヨロヨロと自宅へ戻ったのでした。そして、その夜。眠れないまま、翌朝を迎えるのでした。それにしても、デザートとお抹茶までいただきたかった。。
これが、「ちゃーびー鬼の霍乱」と「台風到来」の“悲惨な週末の悲劇の始まり”なのでありました。続く・・・

2004.9.23 秋分の日

  

お墓参りに出かけ、いつもは青山、原宿方面へ寄り道しますが、昨日は丸の内に大きな本屋さんがOPENしたとかで、東京駅方面へ。新丸ビル界隈が新開発でかなり賑わっています。「MY PLAZA」で、OPENしたてのティーファニーを覗いて目の保養。「MY PLAZA」は1934年に建てられた国の重要文化財である明治生命館と2004年に完成した明治安田生命ビルからなる、伝統と最新が調和する空間です。新丸ビルまでの丸の内仲通りには、KIHACHIカフェなどお洒落なNEWショップが大分増えていてびっくりしました。NEWSで見た、二階建てのSKYバスも目撃しちゃいました。ライトアップした東京駅。地下からの、スケルトンエレベーターも初めて。

帰りに、実家へ。家族揃っては久しぶり。病床で寝たきりの実父が、珍しく「身体を起して欲しい」と言いました。じーみんとA太郎の男手があるから、、と思ったのでしょう。(きっと実母ひとりの時には、言えないのだわ)3人で、身体を支えてあげて、背中を掻いたり、さすってあげたりしました。

実父にかかりきりでいたら、退院したばかりの母も、お手伝いさんも入院中だし、色々な思いも溜まっていたのでしょう。ささいな事で、父のすぐそばで、私と口ゲンカになってしまいました。(泣笑)すると、父がかなりしっかりした口調で、私に諭しました。本来の父なら私に「やめろ!」と怒ったでしょうが、静かなのが少々悲しく。でも、いつになく口調がはっきりとした瞬間でした。「まだまだ、大丈夫」と、こちらの面では嬉しかったです。

仙太郎の好物のボタ餅3種類をお土産にしたので、それで母と仲直りも出来ました。母は全部は食べきれないと、ちゃっかり全種類お味見できました。お手伝いさんの経過が良好で、予定していた手術を免れそうで、こちらも安心しました。でも、パソコン教室の試験を控えて、意欲的に前向きに頑張っていると思っていた母は、やっぱり淋しいし疲れているのかもしれません。もう一つの、現実の世界に引き戻されたような気持ちで、私の心の中は帰り道、複雑でした。今度はゆっくり、一人で行ってあげよう。。

2004.9.19.  発団20周年式典

 

ずっとボーイスカウトに関してのひとりごとが多くなっていました。それだけ、週末などの予定との密接な関わりが生まれています。所属団の大きなイベントのひとつが無事終了しました。手作りのおもてなしをして、友団の方々などお世話になっているゲストを団が一体となってご招待します。準備や会議を経て、とっても心温まる団の素敵なお誕生会でした。

じーみんは、式典全体の会計担当、スカウト活動のビデオ撮影をして編集、その他スライド撮影、当日は上映、照明係りなど。。ビーバー隊のビデオでは、バックミュージックに「僕と彼女と彼女の生きる道」の稲垣君が歌う主題歌を入れました。幼稚園時代から小1までの1番可愛らしい時代です。完成した作品を自宅で見て、我が子ではないのにウルウル。当日はナレーションなどで音声は大きく流れなかったのですが、DCLの「ディスカバーマジック」の子ども達のショーの時のスライドを思い出しました。

私は、団誌の作成とサンドウィッチ作りのお手伝いと受付担当。お料理は、バースディケーキならず、巨大なバースディお赤飯。から揚げ、ポテト、揚げドーナッツはお店経営の団委員が業務用でカラリと揚げてきてくれました。お赤飯もお母様の手作りです。サンドウィッチ、カップケーキ、フルーツポンチなども。ピアノ演奏も撮影係りも、記念誌や記念品依頼なども関係者のご縁でお願いしました。招待状からリボン、紙袋、記念の隊旗。すべてが人々のボランティアで終結されています。すべてがお金ではない人との繋がりで生まれています。そして、皆さん、隠れた才能や特技をお持ちです。でも、出来る人ほどご自身の多くを語らず、きちんと任されたお仕事をなさるのです。私は「そんな方を見習いたい。まだまだ色々なことにチャレンジしたり、勉強しなくっちゃ、、」と思いました。私は専業主婦だけれど、その立場でいられることに心から感謝しながら、謙虚な気持ちで社会と関わって行きたいと思うのでした。付け焼刃で練習した、息子の手旗信号と、誓いの言葉。久しぶりに、お遊戯会の親の気持ちになりました。
    

息子がボーイスカウトに入団して7年目を迎えます。最初は母子で活動に参加していましたが、じーみんも巻き込み、今は、家族で良い経験をさせていただいています。スカウティングのバックグラウンドである野外活動は、自然との触れあいを通してグループ活動を行う事により連帯感や責任感を育て、自己の啓発を進めて、思いやりの気持ちや、やさしさ、社会性を育て、精神的・情緒的発育を促します。今年の夏休みは、私の愚痴が飛び出すほど息子だけは、ボーイスカウトやクラブの大会、合宿などで忙しかったのでした。富士登山では、山小屋に1泊し真夜中から頂上を目指し、御来光を生まれて初めて仲間と拝んできました。とても感動したそうです。相模湖でのカヌー体験は楽しく、また旅行とは異る貴重な体験となりました。彼にとっては、充実した夏休みだったのではないかしら。

子ども達には、学校やクラブ活動以外に色々な場面で、誘惑や避けて通れない状況など、親の想像以上に様々なことに触れる今の時代です。不登校や少年犯罪の低年齢化が発生する中。心と体の著しい成長の過程での反抗期も迎えます。「子どもとどう接して良いのか?」悩む親も多いのでしょう。子どもの為に、とサポートしているボーイスカウト活動ですが。実は、私達親が多くのことを再認識させられ、成長させて戴いているのでした。そして、「自分が出来る事を、出来る時に活動に協力する。」というじーみんのはっきりした姿勢でのボーイスカウトとのかかわりを忘れずに、楽しく続けて行きたいと思っています。

2004.8.20. ボーイスカウトサマーキャンプ 1日カヌー教室

 

A太郎のボーイスカウトのキャンプに、私とじーみんと1泊2日で参加してきました。今年のサマーキャンプは、発団20周年記念のキャンプでもあるために、「救急車両確保」の意味合いもあり、団委員として自家用車での参加。ですから、カヌー教室の参加以外、息子とは一切別行動でした。でも、この立場は非常に微妙で。時折、私は母になってしまい、息子を遠くからイライラしながら見守るのが非常に辛かったです。(笑)それでも、関係なくスカウト達を本気で叱り、指導してくださる隊長さんたちには、感謝の気持ちでいっぱいでした。丸2日の参加でしたが、キャンプサイトにお別れの時には、翌日試合に臨むA太郎に、応援のお言葉も戴き、本人にはとても励みになりました。(結局、その試合も負けてしまったのですが^^;)何年かぶりのテント泊でしたが、本格的な野営と、今回の相模湖でのカヌー教室体験が、私達親にとっても、とても楽しむことが出来ました。カヌーの足掛けまで、短足の私の足を届かせるのに精一杯の姿勢での、カヌー。どちらかというと前傾姿勢でのパドリングなので、午前と午後でヘトヘトになり、筋肉痛でした。
カメラはカヌー用に、水中対応のインスタントカメラを持参。デジカメも充電をかなりしていきました。けれど!デジカメの充電が、元の線がはずれてしまっていたようで電池切れのマーク。相変わらずドジな私です。おかげで、画像はデジカメで数枚、あとは水中カメラと携帯の画像だけになってしまいました。そんな画像の悪いレポートですが、簡単にアップしていますのでご覧になって下さいね。

"2004SummerCamp Report"はこちら★

2004.7.29 「更新」そして私とHPのお誕生日

 

今年もお誕生日がやってきました。7月にディズニーランドの共通年パスが切れてしまい、今回も新しいTDLとTDSの共通年パスを買ってもらいました。私の心のフィットネスの為のパスです。(笑)共通年パス購入時は、システムの事情で「チェキ」による写真の撮影で、後日パスを受け取りました。そのお写真の写りが暗くて、キャストさんからのお勧めもあり、撮影を撮りなおした事情がありました。毎回、楽しいパークに入場する時に嫌でも目にするパスなので、撮りなおしていただけて良かったです。

そして、次は運転免許証の更新も済ませなくてはなりませんでした。葉書を良く読んだつもりが、自分が優良ドライバーだと自覚していないので、4年前を思い出し、証明用の写真を、メイクも念入りに撮影して用意しておきました。それなのに、28日に指定警察へ出かけたら。今回から、提出の写真は不要。結局証明写真が無駄になりました。^^; 次の更新は「5年後のお誕生日の一ヶ月先」までです。その上、すっかり当日の撮影があるのを忘れていた私は、この暑さもあり、ファンデとリップ程度の素顔で出かけていたのでした。気がついた時には、もう遅い。そのままハイ!撮影。5年間もの期間。私は、この「ありのまま」の私がしっかり写っている免許証を携帯しなくてはならなくなりました。(爆)この頃の、思い込みというかボケには自分でもあきれてしまう。でも、車を駐車していた区役所の係りの方が、駐車場を出るときに、区役所利用でないし、割引券もないのに、ゲートをあげて駐車場代を無料にしてくださいました。小さなことで落ち込んでしまったり、自己嫌悪に陥った時。こんな人の気持ちや優しさが身にしみてしまいます。

そして、今日の私のお誕生日。実父と病院の同室の、古くから家族ぐるみでお付き合いのあるおじ様の、御通夜となってしまいました。ご縁あって、三世代おつきあいのあるご近所さまなのです。孫同士が同じ年だったり、同級生や公園でのお友達同士でした。今でも天祖神社の豆まきで、裃姿のおじ様からA太郎がお豆を戴いた事を、鮮明に思い出します。心からご冥福をお祈り申し上げます。

実父は、お陰様で少しづつ容態も安定し、来週外科的な手術を行うことになりました。数日前に、病室のお隣のベットで起きてしまった現実。その光景は、我が家にもそっくりあてはまりそうで、正直とても心にしみました。

これから先、バースディごとに1歳づつ若くなれたらいいな。せめて、気持ちだけは若く、病むことなく毎日を元気に過ごしたいです。そのお守りが、このパスポートと免許証。両方持ってバランス保ちます。
A太郎も、富士登山を達成して、キャンプから元気に帰宅しました。
何にも予定がないお誕生日。変わらない日常。「でもこれって、とっても幸せなことかもしれない・・」と思う、○○才のバースディのちゃーびーのひとりごと。


「笑うリスの冒険」も今日で4周年を迎えることができました。今日まで続けられるなんて思いもせずに、じーみんにつけてもらったHPの名前。今では、愛着もある大切な名前ですが。とってもふざけた、変な名前ですよね。その名に相応しい管理者が、ここまで楽しく続けられているのも、訪れて下さる皆様がいらっしゃるからこそです。BBSでの楽しいおしゃべりでは、ご自身のお時間を下さっての住人さんたちの日々のメッセージに、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
皆様、温かいバースディメッセージを本当にありがとうございました。私にとって、1番嬉しい贈り物になりました。

PS:A太郎がキャンプから無事戻ってお風呂に入り、寝てしまったので、すぐにキャンプのお洗濯を済ませ干してから、急いで出かけました。帰宅して車を駐車場へ入れていると、義母が「電報局から、お届けものを預かったのよ」と、ビニールの手提げに入ったミッキーを抱えてやってきました。えっ?!お部屋で、筒の中のメッセージをドキドキしながら読みました。涙がでてきてしまいそうなくらい嬉しかったです。どうもありがとう。
お祝い
誕生日おめでとう!いつまでも元気で若々しいChabeeさんでいてください。僕たちはあなたがいないと本当に困ります。 ○○じーみん&A太郎

2004.7.24  富士山登山



BBSでは、ディズニーな話題中心で遊び歩いている私なのですが。母としては、面倒な用事も多い日常だったりもするのでした。息子のフォローで、週末にボーイスカウトの会議の予定も多い中。先週、息子の面接が無事終了。めでたく1級スカウトに昇進しました。面接官のひとりに自分の父親も居た訳なのですが。声も小さくなかったし、目を見て話している姿で、父は冷や汗を掻きながらもホッとしたそうです。報告書は、まだまだ・・という評価でしたが、これからレポート提出の能力を少しづつ養って欲しいものです。兄弟が居ないし、年下の班員へのリーダーシップや「気遣いの心」も育って欲しいな。

いよいよ、25日から、山中湖へボーイスカウト東京都連盟のキャンプへ、所属団地区1班の班長として出発します。(1級スカウトで、年齢的なことだけが、その理由だっただけの事です。^^;)第一希望だった、キャンプ中の、1泊2日かけての富士登山の参加も決定。その用意で、トレッキングショーズを買ってあげたり、自分でもキャンプ先の山中湖の地図や、富士山の地形図を用意、準備に追われています。水2リットルに米6食分。個人装備だけでも、重くなりそう。健康面だけは、病気もせず丈夫な息子なので心配はしていないのですが。
登山といったら、今まで八ヶ岳や高尾山など小さな山ばかり。ロッキー山脈へは、標高は高かったけれど。途中までは車だったし。高山病が心配なのですが、頑張って頂上を目指し、仲間と美しい景色を眺めて欲しいです。昨夏のロスでは、気温40度以上の砂漠“Joshua Tree Ntional Park ”へ出かけて、標高1581Mからの美しい景色を眺めた息子。「こんな風に綺麗な景色が見れる事がいいな、って初めて思った。」と話していました。元気でキャンプから戻って欲しい・・出発もしていないのに、健康調査書を用意しながら思ってしまうのでした。

8月には、発団20周年記念の団キャンプもあります。でも、クラブの全国大会と重なってしまいました。それでも、息子は2日間でも参加したいという。翌日は試合だというのに。。親馬鹿丸出しなのですが、団の救急車両確保の意味合いもあり、私達夫婦も車でキャンプに参加することになりそうです。そして、息子を連れて帰宅する予定です。ボーイ隊の1泊早い出発のキャンプなので、テント生活?アウトドアな今年のプチ旅行になるのかな。私から見れば、本当に楽しいの?というボーイ隊の活動。幼なじみの友達がいるからこそ、息子にとっては辛くても「楽しい」らしい。人なつっこい子ではないからこそ。時間をかけて、自分らしさで、隊長やスカウトとの絆を深めて欲しいな、、と思うこの頃です。

息子がキャンプ中、何しようかな!それを楽しみに、親からの用意だけはちゃんとしてあげないと。


2004.7.5. 2004年我が家の夏休み


先日、息子がクラブの7月8月の予定表を持ち帰って来ました。1番気になっていた合宿の日程。ボーイスカウトの東京都連盟のサマーキャンプと重なると心配していたら、それどころかロス行きの予定とバッチリ重なっておりました。すでに諦めモードで心構えはついていましたが、今日も特典旅行の発券してしまった航空券、マイルへ戻す手続きが出来ませんでした。往生際の悪い私。変更は来年3月までは可能なのですが、DL50周年のDLR行き用に、マイルはキープしておく予定です。
息子の予定表に、私と主人の予定を書き込むとほとん空白スペースがなくなっていきました。そんな訳で、今年の夏休みは幕を閉じる直前の、TDS4周年記念のミラコスタへのお泊り1泊が旅行代わりになりそうです。今までみたいに、家族旅行が思うように出来なくなりつつあることを、しみじみと実感しています。

以前、こちらにてお話した、ボーイスカウトの1級章所得の為のハイクの報告書を提出し、晴れて1級章を所得出来たら。そのバッチを胸に、東京都連盟のボーイスカウト4泊5日のキャンプへ我が団からの3名のひとりとして参加します。富士登山にエントリー予定なのですが、希望者が多いと第二希望になってしまうそう。期末テストも始まり、報告書の提出期限も迫り。傍らで、やきもき心配している母なのでした。その母も、広報誌の原稿の締め切りも迫り。作成したことのない団の新聞を、広報担当として7月8月と発行しなくてはいけません。こちらもとても頭が痛いです。

そして、5月30日に開催された「全国中学生かるた選手権大会」の東京都予選では、東京都選抜の選手に残ってしまいました。高校生の先輩は実力者揃いで、「全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会」へ大津市 近江神宮まで試合に出場するほどの強者なのですが。息子は、少ない中学生部員の中の弱者の一人なのです。ですから、決してスゴイことだと親も思ってはいません。でも、まだ始めて1年の彼が4試合約4時間にも及ぶ試合の中で、3勝1敗の成績で同じ中2部員と一緒に残れた事は、緊張感いっぱいの試合の成果をいただけて、とても嬉しかったようでした。持ち帰った選抜のTシャツ。銀杏のマーク、心の中で清掃車が思い浮かんで笑ってしまいました。(ごめんね、息子よ)8月に開催される全国大会の負け試合では、大会出場という良い記念の体験が、今年は出来るのですね。私達親が知らない世界にいる、息子。何事も学業との両立は大変なことだけれど。それを乗り越えて行って欲しいな、、と願います。そして、旅行は行けなくても、心の中ではチョッピリ嬉しい私達親なのでした

2004.5.5.  ゴールデンウィークとこどもの日



GW中は、息子の、兜や鯉のぼりのお節句、バーべキューに、潮干狩りと楽しい思い出もいっぱいあったけれど。今、思い出してしまうのは、やっぱりせつない出来事ばかりなのです。5月6日が私の大手術の日でした。手術前に外泊許可をいただき、2歳のA太郎とじーみんと私の両親と出かけた「こども動物園」。じーみんがアメリカへ出発して1ヶ月。兜を飾って、その前のA太郎小2の写真を淋しく撮影したこと。去年はGWが過ぎて、父が救急車で運ばれ、病気が進んでしまいました。そして、今年のGWの4月29日、再び父が夜中に救急車で運ばれました。自分の入院体験があって、お医者様不在を知っていたから。GWが終了するまで、心配で心配でたまりませんでした。そんなGWが終わろうとして、ほっとしている自分がいます。

ドラマの「白い巨塔」を他人事で見ていた時と違って、内科的処置や今後の治療方針、検査が必要な父の場合。同じように、レントゲンの写真を見ながら医師のお話を伺ってみて、やっぱり里見先生みたいなお医者様がいい!って、心から思いました。「その人の立場になって考える。」頭の中でシュミレーションは出来ても、悲しいけれど、同じ気持ちにはなってあげられないのだと思いました。だから、同じ気持ちになって欲しいと思わない。そして、変だけれど、父はこのまま一生寝たきりでいいから、体力回復して元気になって欲しい、退院してほしい、と思いました。そんな中、弟からは低い沈んだ声で携帯に連絡があって、ドキリ。「な〜んちゃって」と続いたので、ホッとしたり。こんな時でも、明るいのが、取り得の身内なのでした。

父の写真もデジカメで写したのですが、さすがにご紹介できないので。私が幼い頃見て以来、本当に何十年ぶりかで再会した、父が弟に買ってあげた兜と鎧のお写真を。弟には、娘ばかり2人なのですが。今年のお節句には、実家の建築で倉庫から発掘された、兜と鎧が飾られていました。弓矢も刀も屏風も、なくなってしまっていました。我が家は今年も、A太郎の兜も、じーみんの兜も、出さずじまい。ま、いっか。

2004.4.24 息子14歳の体験



一人息子のA太郎は4月17日に、14歳のお誕生日をむかえました。我が家の「花水木」は毎年、そのお誕生日の頃、1番綺麗に色づくのです。今年は、去年よりも淡いピンク色で、あっという間に緑鮮やかな木に変身して行ってしまいました。
そして、この週末。いよいよボーイスカウトの1級ハイク挑戦です。1級章修得のための最終考査で、テントは一切使用しないリンツー(自然の木立の中、自分の装備や木・枝を使って屋根や床を作り、宿泊すること)を各自設計して1泊、朝・昼は自炊。つまり「野宿をする」ようなハイクなのでした。関東地方は、24日の夜は、かなり山間部は冷え込む予報。埼玉県の山奥で、ボーイスカウトでは、カブスカウト時代から怒られてばかりの、同級生3人組での挑戦。何もアドバイスが出来ない、ボーイスカウトに無知な母の、余計な心配は、最高潮に達していました。そんな中、私の悪い部分をすっかり引き継いだ、ダメ息子ではありますが、彼なりの小さな進歩が最近わずかにありました。
先週のディ・キャンプ前日も、今回のハイクの前日も、息子は夜中まで一人で、リスト作成や地図の座標軸、磁北線を引き、用意をしていたのです。キャンプの鍋や、フライパン、軍手を自分で黙々と洗っていました。(多分、隊長にご注意を受けたのでしょう。)土曜日、学校から帰宅しての慌しい出発。私は、夜のお弁当と1合の米と水筒の用意だけ。最寄駅から、乗換えをしながら1時間かかる駅での集合場所まで、遅刻しないように見送るだけでした。無事に電車に乗って行くのを見届け、ほっと一安心。成長しない母にとっては、「手を出さない」って、1番むずかしくて辛いのでした。

しかし、、夜になってから入った情報では。行きの3人の待ち合わせで、友達を待って予定の急行に乗れず全員集合時間に遅刻。食材である、肉担当の一人が、その肉を持ってくるのを忘れたそう。(爆)一人は、夜のお弁当を忘れたらしい。息子が「皆で見るからいい」と言っていた地図は、本来は各自持たなくてはならなかったそうだ。(ひぇ〜)そんな訳で、私は胃が痛くなりそうでいます。それでも、息子たちは隊長たちに見守られながら、注意されながら。なんとか、やってくるでしょう。まるでホームレスの為の訓練みたい・・と心の中で悪魔はつぶやいたのでした。

きっと、これからだんだんと君の道が開けていくでしょう・・
お誕生日の翌日。じーみんが、愛知の両親の別宅から義父の車に乗って帰る際。じーみんの曽祖父の代からの、古いけれど立派な囲碁盤と碁石をA太郎へと譲り受け、運んで来ました。A太郎が大喜びすると思っていたのに、意外なことに、複雑な顔をしたそうでした。彼は最近、クラブの百人一首の札を取る(素振り)の練習を時々ドタンバタンと自室でしています。「いつ辞めてしまうかも?」と見守っていたクラブですが、彼なりに顧問の先生や先輩たちと合宿や大会を共にし、尊敬の念が芽生えたのかもしれません。運動部ではないクラブに、ボーイスカウト活動。中学になって、学校の勉強との両立も大変です。「心から楽しいとは思っていないのではないかしら?」無理しないで「心から楽しい!って思うことを、どんどん合間にしてほしい」そう、いつも願う私でした。
きっと、少しずつ色々な体験をしながら。一歩進む度に、又少し先が見えたり。光が差し、歩く道が明るくなっていくのでしょう。A太郎が、譲り受けた囲碁の道具。じーみんも触れなかった囲碁盤。大切に彼が守って行ってくれるかしら。



私の母のお誕生日とは、大違いだった息子のお誕生日。じーみんも両親に小さい頃連れていってもらい、A太郎も小さい頃良く出かけた、35年以上変わらない懐かしいレストランでのお食事。バースディケーキ、母の手作りでも、ホールでもなかった、コージーコーナーのケーキ、しかもろうそく3本。息子よ、ごめんね。
オータニの「鉄板焼きハンバーク目玉焼きのせ」「キャベツのマヨネーズサラダ」「ガーリックスパゲッティ」「ポタージュ」「チョコレートパフェ」懐かしい美味しさ。カツカレーや大きなエビフライやカニクリームコロッケも食べたかったな・・。14歳の1年がスタート。やっぱり、記念日だったし記録に残す事にしちゃいました!

2004.4.12 “20周年”



TDLの20周年が終わったのに。今年は、A太郎の所属するボーイスカウトの団の「20周年記念」で式典を予定。我が家は、結婚20周年に続いて、まだまだ「20」の数字が続くのでした。 しかも、5月には団恒例のバザールもあり、イベント&会議が非常に多いのです。今期はどういう訳なのか、じーみん、名前ばかりの?連名の副団委員長の一人になっちゃったりして、かつ進歩委員だし。私も、団委員で広報担当。お天気の日曜日の午後・・・。私は、悲しくも団委員会議に出席していたのでした。帰りに、お友達ママとお茶出来たけれど。そして、今日は、広報誌の原稿を届けに。5月の団バザーでは、今年も賛助品の販売。フリーマーケットで売るのは嫌いじゃないので、今年も頑張ります!自分らしく出来る、ボランティアでは1番のお手伝いなのでした。新学期になり、A太郎が持ち帰った学校行事の年間予定表。それを元にじーみんのお仕事関係に、日曜日毎のボーイスカウトの予定が埋められていくのでありました。

GWは何処かへ、と思っていたら。4月末には、A太郎はボーイSの1級所得1泊キャンプ。5月はじめには、クラブ出場の大会があり、ボーイスカウトのキャンプまでありました。「久し振りに、国内のどこかへ出かけたり、清里の山の家へ出かけて、近くのいけすがある寿司割烹料理屋の温泉に入りに行ってもいいな〜」なんて思ったけれど。GWもお盆休みも、高速は渋滞なのですよね。我が家の家族旅行は、夏休みの航空券が1番高い頃にしかできないのかしら?という事になります。「どうせ、この時期になったら、何処かへ旅行したくなるんじゃないの?」「マイレージ使っちゃえばいいじゃない」と、じーみん。性格が違うだんな様で良かったかも、、。という訳で夏休み、今年もロサンゼルス便を一応押さえてみました。話がそれてしまいましたが、どうなる我が家のGW?夏休み?そして、いつまで続くのか?A太郎のボーイスカウト活動。

画像は、所属団のスカーフ(ネッチ)とスカーフ・リング。菊スカウトのスカーフ・リングとワッペンです。1年先輩達2名(中3)は、先日めでたく「菊スカウト」に承認されました。ボーイスカウトのスカーフ・リングは、海外遠征やジャンボリーなどの時に、海外などでスカウト同士、記念のトレードが行われたりするそうです。本日のひとりごとは、意味不明な、ほとんど、ちゃーびーの愚痴なのでした。

2004.4.10.イースターとディズニーランドの関係

2004年のイースター(復活祭)は4月11日です。復活祭は、キリストの最後の晩餐、受難と死。復活を記念し祝います。今週は、聖週間といって、静かにお家で過ごす一週間でした。聖金曜日である昨日は、カトリックのA太郎の学校では、クラブもお休みでした。小学校の時のこの日は、復活のお祝いの前に自分たちもキリストの死と苦しみを少しでも味わう為に、お弁当はおかず抜きで、おにぎりだけの日がありました。そして、11日の復活祭までの3日間は、キリス教の信者さまにとっては、大切な期間です。復活祭が洗礼を受けるのに最もふさわしい時でもあるからです。

TDLの20周年記念イベントも、イースターの11日に終了します。そんな復活祭前の1週間でしたが、私はTDLのイベントの見納めもあり出かけて、ワインや美味しいものを食べ、遊んでいたわけです。(信者さまではないので関係ないといえば、そうなのですが^^;)4月4日に、TDLのマルディグラというショーが閉幕しました。マルディグラといえば、謝肉祭。復活祭の前の40日間のお肉を絶つ前のお祭りですね。今年は正式には灰の水曜日の前日、2月24日が謝肉祭のスタートだったようです。3年間続いたTDL内のショーの終了が、イースター前のこの時期だったので、ディズニーランドのショーは、世界中のお祭りが盛り込まれていたり、その名前やコンセプトなど色々と考えられているのね・・と、思いました。「マルディグラ」はフランス語での発音で、フランス語を習っている息子が反応したのも、納得でした。という訳で、舞浜ではイベント最後の日で多くのゲストで賑わうのでしょう。そして、海の向こうでは、カラフルなパステルカラーのイースターのお菓子や、可愛らしいイースターエッグが溢れているのでしょうね!

そんな楽しい日曜日を前に、TDRでは更なる厳重な、警戒態勢がひかれています。イラクの日本人人質事件が発覚のその日、TDRに居た私。リゾートラインの中にまでも、警備の方が配置されていました。忘れられない、ニューヨークでの9.11.そして、スペインの列車爆破テロの3.11.悪夢の11日とも囁かれています。どうか、4.11.は、世界中が平和な一日でありますように。
2004.4  私が見れた、春

   我が家のしだれ桜

今年も、母から引越しのお祝いでプレゼントされたシンビジュームが、7年目の花を開かせたので撮影。ポストカードにプリントアウトして送ってあげました。母からの返事のファックスが、随分遅れて届きました。手紙では、両親ともに元気そうだったけれど、父が介護の時、身体をさわる度にとても痛がり、「とうとう父の笑う姿が見られなくなってしまい悲しい。」とポツリと書いてありました。私は胸が締めつけられ、涙がこみ上げてきてしまいました。今の自分の過ごし方を振り返ってみると、きっと、きっと。あとでとっても後悔してしまうのだろうな・・と思います。そして、わがまま娘の毎日は過ぎていってしまうのでした。
そんな中、桜満開で新学期もスタートです。じーみんは今月末、大腸ポリープの簡単な内視鏡手術の予定です。ひとり息子のこと。だんな様のこと。自分の身体のこと。このまま家族円満な明るい家庭を!と、「両親へそして母へ心配をかけないことが1番の親孝行かしら?」と思いながら、最後に、私のだんな様の身体のことを心配してくれていた母からの手紙を見つめていました。「自分だけじゃない。みんないろいろあるんだよね。」冬の次は、春が必ずやってきます。
 
  
アークヒルズの桜並木と家の前の公園の満開の桜です。

2004.3.18 霰粒腫( さんりゅうしゅ)の手術

【人間って忘れてしまう?】
霰粒腫の「霰」は「あられ」という意味だそうです。ものもらいには、麦粒腫と霰粒腫があり、私の場合は、霰粒腫で、まぶたのなかにできる、やや硬いできものです。あぶらの成分を出す瞼板腺「マイボーム腺」がつまって、その周囲に慢性肉芽性の炎症がおき、なかにかゆ状の分泌物がたまったものでした。小学校の時以来の手術でしたが、直前まで内心怖かったのです。なぜなら、医師に対しての信頼関係がなかったから。ずっと、実家近くの眼科の先生に二代に渡ってお世話になっていたけれど。今回は、歩いて帰れる、引越ししてから、初めてかかった自宅近くの医院だったからです。わけのわからない年ごろの手術では、医師からの「糊みたいなものが取れたよ」という言葉と、右目は見えていた驚きの記憶だけでした。
診察時間後に、看護婦もいない医師ひとりでの手術。不安が最高潮に達し、身体がかたまっていました。最初に眼薬の点眼、診察台に横たわる。局部の消毒。麻酔の注射(チクリと痛かった)、顔に覆いを被せられる。下瞼に器具を装着。メスでの切開。細かい説明を受けながらの切除で、手術が行われてから気持ちが落ち着iいてきました。そして、無事終了。ここで、医師との信頼関係が生まれた気がしました。たった数分間の簡単な手術。大したことない手術なのに!でも、久し振りに味わった怖さだったのでした。TVで「白い巨塔」の最終回と重なったこともあって、つくづく、医師と患者との信頼関係の大切さを感じました。

私のかつての胃の手術。しかも、当時は「癌になりうる潰瘍の為、完全完治の為に、胃の三分の二を切除」との説明でした。でも、術後の癌細胞検査や転移がなかったという説明。はっきり言えば、私は胃癌だったわけです。手術時間が、その重さを語っていました。主人の心痛も、大きかったと思います。手術前から入院中まで、私は胃癌手術に関する本を読みました。術後の食事の採り方から、経験者談、専門知識などまで。息子が2歳をむかえる頃でしたが、赤ちゃん時代から病気になるたびに、家庭の医学から、図書館で専門書などを読む私でした。医学に全くの素人である私にとって、それが自分への平静さや納得、安心感を得るための手段だったのです。

手術までの、検査入院が長期でしたし。その病棟は内科の多くの癌患者が入院していました。医師からの手術の説明、手術の朝、手術から集中治療室、術後の経過など。私の経験は、万人が体験出来ないことであったにも関らず。病気の痛み、検査や入院生活の苦痛、術前の恐怖感、傷口の痛み、退院後の苦労など。その細かい記憶は、この12年の間にお産の痛みと同じように。私にとっては、遠いものになっていたのです。私は、幸いにして術後の食事も順調な経過をたどり、病気にかかる前よりも腸の調子も良くなりました。それでも、「お腹を切る」ということは「身体の細胞を切断する」ことでもあり。内臓の機能や体力の低下や、貧血や鉄分不足は避けられなかったです。やっと、そんな自分の身体と上手く付き合えるようになったという事でしょうか?大手術の経験者である私でさえ、霰粒腫の手術でうろたえてしまった。もう、入院はしたくない!あなたには軽い気持ちで読んでもらいたい。これが、そんな自分に驚いた、本日の“ちゃーびーのひとりごと”です。

2004.3.8.母の誕生日



  

3月7日は、母の71才のお誕生日でした。14日の父の誕生日のために、小さい頃から母のお誕生日はいつも簡単で、1週間後の父と一緒のお祝いばかり。今年は母を、妹と誘いミラコスタのベッラ・ビスタ・ラウンジでのランチを計画しました。地下鉄の駅で待ち合わせて、舞浜へ。母は東京生まれて、小さい頃は築地の方、今は開かない隅田川にかかる勝鬨橋の近くに住んでいました。昨日のお誕生日当日は弟家族と幼い頃の想い出の土地をドライブして来たそうです。母は、海や埋立地を懐かしみ眺めながら、新木場から舞浜へ京葉線で向かいました。
舞浜駅からモノレールに乗ろうかと思いましたが、ランチまで時間もあるのでイクスピアリを抜けて、アンバサダーホテルまで歩いて3人でお茶タイムを過ごしました。アンバサダーホテルの中庭でお写真を撮ったりして、すっかり「おのぼりさん」でした。リゾートクルーザーのミッキーバスに初めて乗れて、TDLへは孫たちと訪れたことがある母でも、びっくり。バス代を払おうとしておりました。^^; ミラコスタの玄関でホテルの方に3人でのお写真をお願いしたら、ホテルが入る噴水の前まで案内していただけて、カメラでの良い記念のお写真も残せました。



ベッラ・ビスタでのランチは、奥の窓際のお席でした。最初に、お誕生日のお祝いでラウンジのキャストさんたちから、イタリア語での"Buon Compleanno"Happy Birthdayのお歌とゲストの皆様からの拍手を受けて、プレゼントの名前入りチョコプレートでデコレーションされたティラミスのケーキのロウソクの火を、母は消しました。やっぱり感激して、涙を流していました。ベッラビスタのバースディサービスに感謝でした。
お料理のコースは、3月からメニューが変わりました。前菜が、帆立貝とスモークサーモンのタルタルにカリカリのフランスパン添えと、カプレーゼ(モッツアレラチーズのフレッシュトマトとトマトのゼリーのせ)。スープは、あさりとゆり根のクリームスープ。熱々のクラムチャウダーで、大粒のアサリが入り、ゆり根がホクホクしていて美味しかったです。メインは、母の好物である、ひな鶏のこんがりグリルのオニオンピューレ。「ガルーム」という、タイ料理などで使われるソースが添えられていました。皮が香ばしくてソースも美味しく、添えられた菜の花が春らしいお料理でした。デザートは、アマレットのリキュールたっぷりのスポンジの“ズッパイングレーゼ”というケーキ。「何層にも重なる、、」という意味だそうです。ふんわり柔らかくて甘さも程よい、ケーキでした。ピスタチオのアイスクリームも添えられてこちらもとっても美味しかったです。パンは、いつものオニオンのパンに加えて、パスタの粉を使ったセモリナのプチフランスが美味しかったです。1月に戴いたコースより、かなりお気に入りでした。デザートの頃には、ハーバーでポルトパラディーゾが始まりました。午後の日差しをいっぱい受けたベッラでのお食事とショーは、心も身体もポカポカです。記念のミッキーとミニーのフォトアルバムには、ベッラのキャストさんたちからの、手書きのメッセージが、お花のイラストと共に描かれていました。親不孝娘から母への、ささやかなお食事のプレゼントでした。

   

帰りはイクスピアリの成城石井で、生クリームメロンパンや生クリーム苺メロンパンを、それぞれお土産に買いました。ポンパドールでは、丁度焼きたてビックフランスの販売中。おすすめの、はちみつバターをたっぷりと挟んでもらって、又こちらも3人で買いました。アンジェリーナのイクスピアリ限定モンブランも、買おうとしていた母でした。びっくりしたのは、母が良く歩いていたことと、スラックスがにぎり拳がひとつ入ってしまう位にゆるくなるほど体が締まった事。趣味のパッチワークの次には、以前の編み物のお稽古を又再開しているそうでした。そういえば、ベッラ・ビスタ・ラウンジの椅子に、トールペインティングが描かれていました。私が習った、家具などに描くデコラティブ・トールペインティング!これくらいだったら、私にも描けるかも?と思いながら、又トールも、母を見習って始めたいな、と思ったのでした。私にとっても、母のこぼれる笑顔も見れた、楽しい日になりました。母にも、いつまでも足腰丈夫で長生きしてもらいたい。それが、私達姉妹の願いです。


2004.3.2.
雛祭りの前の日に




久し振りに実家へ出かけてきました。明日は“おひなまつり”なので、「たねや」の3日までの限定の和菓子「ひなの節」を買って行きました。梅のお花も添えられて、小粒な草もちや生菓子の7個入り詰めあわせです。入浴後だった父は、日の光がそそぐお部屋で口をあけて、気持ち良さそうに眠っていました。残念だったけれど、今日は寝顔を見れただけでした。
もうすぐ母のお誕生日。そして、その1週間後には父のお誕生日がやってきます。母と妹との、ミラコスタでのお誕生日ランチの約束を、説明してきました。FAXで知らせてあったけれど、耳が障害で聞こえづらくなった母には、私もイライラしなくて、会って話すのが1番なのです。以心伝心というけれど、実の親子であっても、待ち合わせ時間や場所は言葉や文字にしないと伝わらないのですよね。楽しみにしてくれている母でした。

夜、カネボウヒューマン大賞のドラマ「冬のひまわり」を見ました。「今を生きる女性」をテーマに応募された「読売・日本テレビ『Woman’sBeat』大賞カネボウスペシャル21」の受賞作品をドラマ化。今回の作品は、優秀賞受賞、新田順子さん原作の「彩・生」。交通事故に遭い重度の後遺症を抱えてしまった夫。ひたすら回復を信じ、愛する夫と共に生きようと誓った妻の闘いが描かれていました。
作品は新聞で読んでいましたが、実家へ出かけた夜でしたので、主人公の夫への愛の介護が、チョッピリ母とダブって見えてしまいました。父は、わがままを言う元気も日に日になくなってきましたが、逆に回りの人間は楽になるのです。母はまるで、菩薩のような目で父にほおずりし、毎日を過ごしています。父は、脳出血の後遺症。昔を思うと、家族はとても悲しいけれど、今は平和な時間が過ぎているようにも思えました。「愛する人に、生き続けて欲しい」と誰もが願う。でも、年老いた夫婦にとっては、家族の入院が共倒れになることもあるのです。父の寝顔を見ながら、父は愛する苦労をかけた母に、夫として愛を与え続けている気がしてなりませんでした。父には、このままでいいから長生きして欲しいです。
息子は、「僕には重たくて、ドラマを見たくない」と言いました。気持ちがわかるような気もして、私はひとりで見ました。私も今は、自分と主人公を置き換えて考えたくなかったのかもしれません。涙が溢れてきてしまったけれど。ドラマで描かれていたように、大きな悲しみに出会ってしまった時。泣けるときは・・その時でなく、もっと後。涙を出す力なんて、本当はないのだ、と思いました。

2004.2.27. 花便り「梅と桜」


今年はバレンタインデーの頃に、東京に「春一番」が吹き荒れました。我が家の庭の1番大きな白梅の木の、開き始めた梅の花たちがひらひらと舞ってしまったのです。暖かい数日が続き、見どころの今。引っ越して最初の春にリビングの窓から見た、梅の花の感激が夢みたいに、悲しい今年の梅の木です。それでも、嬉しいこともありました。昨年、思い切って切ったユズリハの大木。そちら側の紅梅が、今年は一段と鮮やかな花をいっぱい咲かせてくれました。ユズリハの木の陰になり、一生懸命年月をかけて、枝を伸ばしていた姿が感じられます。その脇のひとまわり小さな白梅の木も、今年は負けずと、美しい梅の花を咲かせてくれました。すべての命のあるものが「生きようとしている」「生かされている」と感じました。



そして、TDLではトゥーンタウンの「ミニーちゃんの家」裏側にある、とっても綺麗な桜を今年も見ることが出来ました。花壇のお花たちも、春の香りを届けてくれています。チューリップにパンジー、ペパーミントのパープルのお花も咲いていました。トゥーンタウン入ってすぐ左手のワゴン脇の、パレードルート側の桜もまだ満開ではありませんが咲いていました。ウォルト像前の、両脇の桜は、開花の時期はまだ先のようです。桜にも色々な品種がありますね。
TDSにも桜はありました。同じ日に見た桜は、ハーバー右手奥の、ザンビーニ・リストランテの先。パレードやダンサーさん達が登場する門の脇に、咲いていました。今年は、東京近辺のお花見は、早まりそうな気配です。
梅と桜を同時に見れた日。春が東京にやってきた感じです。もうすぐ、お雛祭り。

2004.1.12 "Remember the Dreams"

 TDLワールドバザールにて  

TDLで新しいイベントがスタートしました。キャッスルショーの名前は、その名も“リメンバー・ザ・ドリームス”20年間の名シーンが終結。20周年ファイナルを記念してのフォトフレームが、過去に訪れた時のお写真を持参すると、プレゼントと聞き20年前のグランドオープン前の招待日に出かけたときの写真を、持って行きました。懐かしいTDLでのスナップを見ながら思い出が蘇ります。

私が結婚して半年後にOPENしたTDL。私たち夫婦の結婚20周年はファイナルを11月に迎えて幕を閉じました。結婚生活の20年がTDLの歴史と重なります。新婚ホヤホヤの奥さんのくせに、まだ独身だった学生時代からの友人と一緒にOPENに出かけて、デールと撮ったワンショット!じーみんと、クリスマスのイブに出かけたTDL。A太郎がお腹に宿って、出かけたキャプテンEOのアトラクションで、眼鏡をかけたお写真。スターツアーズのOPENで、いつか一緒に赤ちゃんと乗りたい!って願ったこと。A太郎1歳の初ハワイのあとのTDL。OPENの頃は、皆子供なんていなかったのに。揃って子連れで乗った、2歳の時のイッツ・ア・スモール・ザ・ワールド。4才幼稚園年中さんの時のはにかむ姿は、アラジンの大冒険の頃だったよね、なんて。可愛らしいA太郎の姿に、お写真を見つめながら微笑んでしまいました。(親馬鹿^^;)子供って、あっという間に大きくなっちゃうのよね。

あの頃は、TDL何周年だとか、何のイベントなんて全然知らなかった。でも、想い出はアトラクションやショーベースで見たショー、パレードでのお写真・・。まるでパズルのように、パチリと合わさって行きます。ディズニーを通じて、ご縁あって仲良くさせて頂いたお友達との、ついこの間?と思える数々のイベントの思い出も、いっぱい!

Remember the Dreams !
あの頃の、夢を思い出しましょう♪Yesterdayここに、あの日の想い出を。Todayここに、今日の想い出を。Tommorowそして、ここに新しい想い出を。このフォトフレームに、我が家の幸せな未来の思い出を。そして、お仲間との楽しい思い出も、残せますように。
          
Thank you for your Smile !
フォトフレームにはミッキーとウォルト・ディズニーからのメッセージがあります。
“これまでの20年間、東京ディズニーランドを笑顔でいっぱいにしてくれてありがとう。キミの笑顔はこれからもずっと僕たちの宝物だよ。” MICKEY MOUSE
Look at them! Did you ever see so many happy people?So many people enjoying the themselves?I want them,when they leave,to have smiles on their faces.Walt Disney

2004.1.2 新年会

悲しげなことが心にあっても、前向きに!


あけましておめでとうございます。今日は実家での新年会でした。
今年は申年。年男の父は残念ながら、新しい家のリビングでは一緒に過ごせなかったのですが、「2003年中に引越し関連は済ませた方が良い」というお達しに逆らうことなく、昨年のうちに両親も引越しを無事済ませ、新しい家で、皆で一緒に新年をお祝いする願いは叶いました。今にも棺おけに入ってしまいそうな程やせ細ってしまった父ですが、ベットで私たちを呼びつけて集合させては、相変わらず「好きなものを出前でとれ!何にする?」と怒りながら、一人一人に聞いておりました。威張りながら、気を使うところはボケていないのです。おせちのお重は、注文して作って戴いたものでしたが、実母の手料理のお煮しめや栗きんとん、お雑煮をはじめ、義妹の手料理も加わったお料理で、シャンパンやワインで新年を祝い、乾杯しました。

今年は、妹の家の3男BLACKフレンチブルドックのケビンも参加です。又この犬が、父にそっくりで。(笑)しかも弟と同じ誕生日で1歳もう成犬になりました。犬とか赤ちゃん(一緒にしちゃ赤ちゃんが可哀想だけれど^^;)の存在は、本当に周囲をHAPPYにさせてくれますね。今日の主役は、父ではなく、まさしくケビンでした。子供たちと近所の公園へお散歩に出かけたり、お部屋で子供たちを追いかけて、一緒にボール遊びしたり。とっても可愛い愛嬌のある犬でした。そんな新年会の話題は・・。3月に訪れる、父、母、そして義妹、父と同じ日に生まれた従兄弟、計4人のバースディー。弟が父を見てくれるから、「ミラコスタで女ばかりのお泊り会は!」なんて、案まで出ました。ミラコスタの話題をふった私は、慌てて「土日で2部屋なんて、今からでは6ヶ月先の宿泊予約でないと、予約するのも大変なのよ〜」と、説明してきました。でも、いつか母やまだ小さい弟の娘たち2人をTDS&ミラコスタへツアコンしてあげたいな〜と思います。じーみんが、集まる子供達の為に、リージョンコードフリーのDVDプレイヤーと海外版「ファイディング・ニモ」と「リロ&スティッチ」のDVDを持って行ってくれていました。英語版のニモを私も、今日ちょこっと見ることが出来ました。

父の事は皆、心の底ではとっても心配で、そしてふと悲しくなってしまうのですが。新年会では笑顔で、それぞれに明るいこれからの事を希望を持って話せたのは良かったです。父は病院ではなく、この家で優しい家族の介護を受けられて幸せなのかもしれない。

帰りに、旅行のためにお待たせだった、A太郎のクリスマスプレゼントを買いにビック○○○へ。欲しがっていた「デジタルサウンドプレイヤーRIO」をじーみんと選んだみたいです。嬉しそうでした。私は、デジカメコーナーでSONYの新しく出たデジカメを試し撮りしたりして、色々店員さんに相談していました。デジカメが軽くなっていたのにもびっくり!ず〜っとテレビもビデオもSONYだから、あの青みの色合いになれちゃって?(これは、言い訳です)でも、理屈ぬきでSONYが好きなのでした。新型じゃないけれど、4倍ズームで色々付属品がつけられるV1機種も、気になってじ〜っと見ていました。でも、安くなっても7万。ネットでも6万弱。^^; 前のデジカメサイバーショットも、定価も昔の出始めはそれ位したのですよね。今日は決定できませんでした。多分、首から下げられる(爆)新しく登場の薄型T1、液晶画面も大きくて、機能的なことも考え、画素数もアップの新機種になるかな・・。メモリースティックはじーみん携帯と同じサイズなので、いつか私も同じメモリースティックのカメラ携帯を持てるという希望も持って・・。ちなみにケビンの画像はじーみんの携帯so505iで撮った1ショットです。

ホリディDLR旅行で、バイバイしてしまった私の可愛いデジカメと記念写真への思い。消えた思い出の画像のところまで、忘れないようにレポートを書いて、そして新しいデジカメが手元に来たら、その時から気持ちを切り替えようっと。新しいデジカメが早く手元にやってきますように。今度のデジカメはどんなタイプになるかしら?(^^)可愛がってあげるからね!

2003.12.15 12日間のクリスマス

  

聖書の物語のはじまり、この世界ができたときの話の中に「夕がきて、朝がきて、それが第一日であった」という記述があります。世界の1日の始まりが夜からだったとすると、クリスマスイブからがクリスマスなのですね。クリスマスのディナーは25日のお昼に戴くのが習わしだそうです。クリスマス・イブから数えて12夜目の1月5日はクリスマスシーズンの最後の特別な日です。生まれたばかりのキリストが、星に導かれて東からやってきた3人の賢者に出会った日とされ、フルーツケーキを作って祝う習わしがあるそうです。こういったことから12という数にこだわり、クリスマスのお菓子にも12種類のフルーツや木の実を入れるのだそうです。12日間のクリスマスは、クリスマスまでの事ではなく、クリスマスイブから12日間なのだと、知りました。

【ディズニーなお宅訪問】そんな、クリスマスを前にした今日。昔から生粋のディズニーファンでいらっしゃるお友達の、ディズニーな世界で溢れる贅沢な別宅?であるマンションへお誘いを戴き、伺いました。エレベーターを降りると、可愛らしいクリスマスデコレーションがキラキラしてお迎えして下さいました。手作りのビーンブラッシュのツリーは、ライトも光ってとっても可愛かったです。素晴らしいコレクションの数々を見せていただき、夢いっぱいのお宅でのひとときでした。スペシャルサービスは、チップ&デールのポット&カップ&ソーサーでのコーヒーサービス。とっても素敵なカップに感激!反対側は、ミッキーがソリに乗っているデザインのクリスマスバージョンなのです。TDRお菓子とフルーツでのコーヒータイム。美味しかった!


2003.12.14 Family 忘年会

   

【ホテルパシフィック東京】ピコロモンド バラエティディナーブッフェ 
気のおけない、女子校時代からの友人とその家族6組が、大集合の忘年会。今年は、何年振りかでファミリーで参加のお食事会です。子供達は中1〜高2までの総勢10人。(約1名サッカーの試合鑑賞で欠席)大人11名(パパ1名欠席)勝手知る昔からの友人ならではで、格安なブッフェを探し出してくれました。大人2500円。フリードリンクセットがプラス1600円という、ホテルにしてはお安いお値段でした。(4才〜12才は1300円)フリードリンクは、ビール、ウイスキー、ワイン(赤・白)スパークリングワイン、ウーロンハイ、サワー各種、ソフトドリンク。コーヒー、紅茶はブッフェに含まれます。しかも、ステーキ食べつくしフェアー開催中で、岩手産の牛肉のステーキを、その場で焼いてサービスして下さいました。ブッフェのお料理は、前菜各種、サラダ、チキンの赤ワイン煮、骨付きポーク、白菜とベーコンのクリーム煮、アンコウのから揚げチリソース、ヒラメのソテーオーロラソース、あさりのガーリック味、牡蠣のパスタ、など色々。パンも保温されてのサービス、デニッシュ各種もサクサク。デザートもラズベリームースやフロマンジュ、チーズケーキ、抹茶のロールケーキ、ミニシュークリームにワッフルまで。フルーツはメロン、パイナップル、その他・・。ステーキのソースはバーベキュー味と塩味が選べました。お腹いっぱい。

忘年会シーズンのせいか、団体の予約のテーブルも多かったです。大人と子供達のテーブルは別々。お年頃の子供達のテーブルは、まるで合コンみたい?男子の方が堅くなっておりました。友のお腹に居る時から、知っている子供たち。その成長を目のあたりにして、感動してしまいました。「おっきくなったよね〜!」私達が出会ったあの頃の時代を、私達の子供たちが迎えようとしている。そして友人たちも皆、それぞれにいろんな事を抱えているのだ。「来年の2月まで、私のことはほおっておいてね♪」「パパとママにも言えない事があったら、○○パパに相談するのよ」飛び交う言葉。無理やり照れる子供たちを写真に収める。そして、ファミリーフォトの撮り合いっこ。

久し振りに都心を抜け、都会のクリスマスイルミネーションの美しさも味わえた、居心地の良い、HOTで楽しいひとときでした。いつまでも、
皆が幸せでいられますように・・。東京タワーの2003のロゴが夜空にキラキラ光っていました。

2003.12.8. ユズリハの木 Daphniphyllum macropodium
ユズリハ科ユズリハ属 Daphne (月桂樹の古名)+phyllum(葉) macropodium:太い軸の



今年も、我が家に植木屋さんが入りました。義母の「ユズリハの木を、今年は切ってもらうのよ」という言葉の意味を理解していなかった私。あの、大きな木が切り株になってしまうとは知らなかった。

ユズリハ(譲葉)の名の由来は、初夏に新葉が開くと夏から秋に2年葉が落葉すること、つまり新しい葉が伸びてから古い葉が落ちることからきていると言われます。これを子供が立派に成長したのを見届けたのち家督を子供に譲り、家系が途切れることなく続いていくことの象徴と見なして、 おめでたいお正月の飾りに使うのだと説明されています。鏡餅の下に、長寿の象徴のウラジロと一家の繁栄を象徴するユズリハの葉を一緒に使うことを、この家に来て知りました。

そんな、縁起の良い木を切ってしまっていいの?と思いましたが、直径40cm弱はある木片を見て、大きく頷いてしまいました。中が空洞でした。「切る前のユズリハを撮ってあげればばよかったな・・」と思いながらデジカメに収めていたら、義母が、「まだ若い木を植えてあるし、もう1本あるから大丈夫よ」と説明してくれました。写真の右端に写っている、まだ草花のようなユズリハがそうです。中くらいの木もありました。いつもは、掃き辛い大きな葉っぱに手をやいていた私でしたが、心からほっとしました。でも、一体何年経ったらあの大きかった木に成長するのだろう、、。それ以上は考えない事にしておきました。切ったあとには、お塩をお供えしておくと良いそうです。

お塩といえば、昨夜の御通夜では、帰りにお清めのお塩を戴きませんでした。浄土真宗では葬儀の時に穢れを清める為に塩をまくことはしないそうです。仏教では、「死も又我なり」と受け止め、生死するいのちを精一杯生きて行くことこそ、人間としての生き方であると示しています。御通夜後の帰宅で、慌てて玄関へさっさと入ってしまった私は、この時もほっとしたのです。それでも、念のため、外に出てお塩をそっと、かけてもらいました。

御通夜の帰り道では、我が家近くの踏み切り待ちの時。お寺の看板で、「人生には、『まさか』という坂もある」という文字が目がとまりました。外務省外交官の、悲しい死を痛むニュースが続く中。私はといえば、クリスマス!イルミネーション!TDR!クリスマスパーティー!飲み会、そしてDLR旅行!などと、楽しい予定をあれこれ考えている。日常では、息子の期末テスト、実家の引越し、年賀状、大掃除、忘年会、ボーイスカウトの1品持ち寄りの会、家の工事、でいっぱいいっぱい。心の中も慌しい、楽しいことも大変なことも多い、12月です。

2004年は、また新しい幸せな1年となりますように。今年の締めくくりを、風邪をひかないように、明るく頑張って過ごさなくちゃね。我が家の綺麗になった庭に、新しい風と陽の光がやってきた、冬のとある日のひとりごと。

2003.10.15. 星の音が聴こえますか

「星の声が聴こえますか」 松森果林著 筑摩書房 1300円
音のある世界から音のない世界へ。小学校から高校時代にかけて聴力を失った女性が、
音のない世界の奥深さを知り、コミュニケーションを豊かにしていった体験を綴った初エッセイ。

在学中から「聴覚障害者も楽しめるディズニーランド」の研究と提案を続け、(念願の 株式会社オリエンタルランド)装飾課に入社後はディズニーランド内の装飾デザインに携わるかたわら、ディズニーランドのバリアフリープロジェクトにも関わりました。キャストが手話のできることを示すピンバッジ導入や、メガネに字幕が出てくるシステムの導入など実現しています。これって、ミクロアドベンチャーのことですよね。現在は、フリーライターとして執筆活動のほか。聴覚障害の立場からコンサルタント業を中心にご活躍中だそうです。旦那様もオリエンタルランドの方で、アトラクションの設計や造型に携わってらっしゃるとか。

小4から耳が聞こえなくなっていった作者。海外旅行好きな作者。私も訪れたことのある、フランスのグレースの香水の工場のお話から今に至るまでのエピソードなど。子を持つ母として。そして実母が、やはり聴覚障害で片耳だけでなく、耳を患っていること。キーワードがビンビンと私とハマる本。

窓の外は雪が降っていた。雪は音を吸い込むという。
その降りしきる雪が全てを吸い込んでしまったように、私の世界からある朝突然、音が、消えた・・・・・。
この第1章の書き出しから、目頭がすでに熱くなっている私です。読み終わったら、母に届けようと思った一冊です。

本を読み終えて・・・・
ページの間からおまけが出てきました。「Listening〜星の香り」の小さな香りの栞が、ご本にはさまっていたのでした。紙製でフィルムを剥がすと、ほんのり香る、あれです。エッセイにも書かれている、フレグランスデザイナーズショーにて、作者が新人賞を受賞した星の香りを、私も今感じることが出来ました。
私とは、年の離れた作者です。そして、お写真を拝見すると、とっても綺麗な方でした。まさしく今!を生きる、障害を持ちながらも可能性を追い続け、全てにおいて前向きな彼女の姿勢に感動しました。
OLCやディズニーにはチラリとしか触れていません。小3の時の、ディズニーランドのイッツ・スモール・ザ・ワールドを体験した時の感動。歌の詩をあらためて、かみしめて復唱してみたくなります。親友に助けられた、高校時代。私には、本に棒線を引いてしまいたい部分がいっぱいありました。舞浜へ行く地下鉄の中で読んで、何度も泣きそうになりました。
中盤になると、読みながら比較的冷静になれました。やがて母となった作者は、「いっしょ」という手話を1番に教え、子供とのコミュニケーションがはじまります。
ゆっくりと、読書後の素直な自分の気持ちを書きとめておきたい・・って思える1冊です。星の音が、聴こえるような自分になりたいです。

「こんなに沢山星がでていたら、きっととってもうるさいんだろうね。」
夜空の満天の星を見上げていた、生まれた時から耳の聞こえない、音のない世界の、ある少女のひとこと・・。


2003.3.15. お別れ会

A太郎が2歳の時から通っているお教室のお別れ会でした。
理念は、認知心理学者ハワード・ガードナーの知性の多重論を基に、 調和のとれた心と、確かな学力を育て、 自ら意欲的に取り組む姿勢を育てる、というお教室です。知性の多重性とは、言語的知性、社会的知性、倫理数学的知性、空間的知性、身体運動的知性です。人間の心は、ひとつの知性でできているのではなく、 いくつかの知性が相互に絡み合ってできているという考え。だから、いろいろな知性をバランスよく育てていくことが、 豊かな人間になるためには大切なのです。 小学校からは、基本は算数と国語(小さい頃は、数の概念、読み聞かせ、日記、作文、俳句など遊びを通して)でした。
途中、小学校受験前の1年はお休みしたものの。10年以上通った事になります。シングルエイジの9歳以降は、一人で通い、私はほとんどノータッチでした。辞めさせようと思ったこともあったけれど。学校の囲碁仲間のお友達が一緒なのもあって、最後の方では「辞めたくない」と続けた、お稽古でもありました。子供の為になったか?といえば、私には即答が今の段階で出来ないのも、事実。でも、「継続は力なり。」でしょうか?コツコツ何かをするのが長所でもあり、「要領が悪い」という、親の血をひいた息子の欠点でもあるから、続けられたのかもしれません。母子にとって、良い先生方に恵まれたお稽古でした。

今日は、最後に親子と先生との茶話会がありました。お世話になった先生方に、花束などを用意して出かけました。

幼稚園の頃のクラスで、ある先生が個性的な生徒のオンパレードで、授業中泣いちゃった事がありました。
ウルトラマン○○男くんという、スゴイやんちゃな男の子がいました。お名前は?と聞くと。「○○ウルトラマンです」と答える。
机の上にきちんと並べられた、各自の教材の入った小さなケースを、突然吹っ飛ばしました。
ある女の子は、非常に賢い子でしたが、話しかけても一言もしゃべらない。質問しても、答えない。黙々とこなすだけ。
先生も内心「どう接したら良いか?」「どう、授業を進めて良いか?」悩んだお子さんでもありました。
今日、その女の子が、明るい表情でハキハキ皆の前で、お話していました。素晴らしく成績も優秀な、女の子でした。独創的な算数の解き方をして先生を驚かせていました。

先生が、目に涙を溜めながら・・
子供の事で悩んでも、先には笑って振り返られる時が必ずあることを、お母様達に信じていて欲しい。」と、仰ったのが私の心に深く残りました。

A太郎が初めてお世話になる日。私は病院のベットでした。入学を申し込んでいたものの、5月の手術を控えて私は入院をしたばかりだったのです。せっかくだからと、義母がA太郎を連れて行ってくれました。A太郎は、ばあばと一緒に1週間に一度、ここへ通うことになったのでした。ばあばと、積み木やパズルをしたり、体操やダンスやお歌を体験するのです。こんな小さい時から・・きっと義母はそう心に思ったことでしょう。それでも、孫との外出は楽しみだったらしく病室でお話を聞けるのが楽しみでした。義母にはとても感謝しています。A太郎が2歳になる直前の、桜が満開の頃でした。
そんな印象的なスタートでしたので、お別れ会の時も先生は、私の体の事を何よりも、心配していて下さいました。

子供にとっての、お勉強面での良い先生って。たとえ、その答えがひとつしかない問題でも。
「子供の答えを、考えを、否定しないで認めてくれる先生」だと感じています。
子供は、自分の考えをなんのてらいもなく話せる。認めてもらえる。
そんな先生に出会えた時に、子供の学力とやる気はぐっと伸びていくのではないでしょうか?

A太郎はこれから、「難しい年齢の時」を迎えるでしょう。
先生からのアドバイスは、
子供を手に負えないとかで、子供を突き放さない事。
家庭の中での「これだけは」は、何度も、何度も。たとえ取っ組み合いになっても伝え続けなさい。
必ず我が子の心にしみこんでいきます。
」でした。
子供は、いくつになっても、心の面で親からほおり出されたことを、1番心に感じとってしまうそうです。

母として、自分が信じる良い事は、子供に伝えて、そして与えて行こう・・心から思いました。
お別れの季節。小学校の卒業式も、もうすぐです。